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僕がもし、書道を教えるなら。

僕がもし、書道を教えることになったら、その人らしい作品を見たいですね。その人の個性の源というか、そういうものをほじくり出してきて、そこに命を与えたらどうなる?とアドバイスします。言ってしまえば、人は皆個性の塊ですから、皆それぞれに違う経験をして、皆違う見識を持っています。

ですから本来、誰かと誰かが同じような作品を作る事は無いのです。しかし、人間というのは誰かの影響を受けますから、その影響から脱することもまた大きな仕事になっているのです。そうした呪縛から逃れるように、自分が本当に見たいもの、さらにはどこにもないものを作り出すというのは、なかなか大変なことです。(自分が本当に見たいものを追求すれば、実は簡単なのですが)

そして、今度はそれが客観性を伴った面白い作品でないといけません。誰かがそれを壁に貼って飾りたいなと思うような魅力をたたえたものです。そうでなければそれは、アーティストの自己満足になってしまい、うまくいきません。そのためには苦言を恐れないことです。いくらぼろくそに言われても、負けないハートを持つことです。

そうした一つ一つをくぐり抜ければ、きっと誰かが褒めてくれます。褒められるというのはその人の制作の態度にしても、そして作品自体にしてもです。

こんなふうにアーティストが成長するには、様々な段階があります。だから自分がその段階の途中にいるんだと考えれば、ある程度ほっとするのではないでしょうか。

しかしそれには時間もかかりますし、思考、思索の連続です。思考を重ねた上で、自分というアーティストを成長させねばなりません。また、それを怠けてはいけません。

時間は限られています。自分の年齢を考えてください。そうしたら自分があとどれぐらい残り時間があるのかわかるでしょう。ですから私は焦っています。

井上有一は、医者の出した薬を調べて肝臓癌を悟り、日々絶筆だと宣言した上で、毎日アトリエに入っていたのです。そのことからも、我々は学ばなくてはいけません。

(画像は、ギャラリーNOWのオーナー富山さんが私の作品を飾るところ)

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