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書道に独自性はあるか?

僕は「誰かの前に何かをする」っていう言葉を持っています。

オリジナルとは何かと言われたら、これじゃないかな?と思うことの一つです。

この世に一つのものは、単純な思いつきではなく、必ず何かしらの文脈を持っている。

で、いろいろ考え続けて、それを、「あ、これってどこでも見たことないや。てことは、これ、俺のオリジナルじゃね?」と思った瞬間に、

「他人にやられる前にお前がやれ」

ということです。そしてこの、

(こうきてこうきてこうなって、だからこんなものがうまれた)

という

「自分でこしらえたモノのプロセスが説明できるもの」

その説明の一連がコンセプトであり、コンセプチュアルアートの正体なのだと思っています。

だから、コンセプトとはなんだとか、わからない人はそうやって考えたらいいかなと。

「誰かの影響がないものが望ましい」

と、僕はよく言ってますが、それは正確には、

「いろいろな刺激を受けた後、誰からの影響も感じないくらい、考え、考え、考えて、やがて自分自身の考えをさらに進めていくと、誰も到達できなかったところまで自然に行ける」

ということなのです。

だから、

誰かのお手本を元に、それを写し取る、言われた通りに筆を動かすことに慣れてしまっている書道の世界からは、現代アーティストは生まれにくいのではないかと考えています。

僕はこないだの富山での個展の時に初めて知ったのですが、陶芸が近年、現代アートとして、認知され始めていると。つまり、陶芸家の中から現代アートとして認められるアーティストが数多く出てきたということなのですね。

書道は、現代アートの世界では、まだまだこれからなのです。

前衛書道が、そのまま現代アートとして認知されなかったのはなぜか?を考えてみてください。

井上有一以降に、誰もそれを超えようとしなかったことを思い出してください。

書道家はそれが現代アートとして認知されない現実に直面する時、謙虚に反省しなくてはならないことが多いのです。

僕が現代アートのギャラリーで個展をした時に、知らない人(美術愛好家)からあっけらかんとした顔で、「書道と意識するからおかしい。絵画の一つとしてやればいい。なぜなら、同じ平面芸術だから」とひとくくりにされたことがあります。つまり、「書道は絵画に吸収されよ」という意見ですね。これ、複数の方に言われたことあります。

(書道にさしたる独自性はない、絵画の中の一つでいい)

なんという乱暴な考えだろうと思いましたが、書道の現代アーティストが自分以外にほとんどいない状態では、こんなものなのかなと。

書道も絵画もない、同じ平面芸術でいいではないか、という考えは、残念ながら間違っています。

書道は言語を扱うアートなのです。それは、美術の中にもありますが、我々には「それしかない」わけですから、我々がやらないで、誰がテーマとして扱うのか?くらいの絶好機だと思ってやってます。僕はね。

書道に独自性はあるか?

Published in Statements

2 Comments

  1. 遠藤 欧水 遠藤 欧水

    エエワ!!
    小気味良いほど的を得て唸ったワ!

    それに、書アートと言う事に対しての哲学が、
    平易で謙虚に綴られていますね。

    ー 私は描く(書く)だけかいたよ。後は知らん! -
    というような傲慢さが無いのは嬉しい事です。
    そして決して媚びてはいないオリジナル作品!

    その上での鑑賞の捉え方は個々人のものですものね。

    私自身は貴方の作品に感情移入してしまう事があります。
    気になる作品なのです。
    でも、解からない・・・・
    何が解からないのか判らない。
    しかし、解らない事は、悪い事ですか?

    貴方の作品を友人のオランダ人が見て、
    私にこう言いました。
    「音叉する、音叉出来る作品だ」と。

    貴方の作品と論調にそんなこんなでワクワクさせてもらっています。
    ありがとね。
    (hisashi yamamotoでググったら、代表的に大学の先生の事と
    貴方の作品が表示されたと言っていましたよ)

  2. 山本尚志 山本尚志

    遠藤様

    うれしいコメントありがとうございます。私の47歳の最後の日にこうして評していただけたこと、感謝しております。

    もう2年ほど前になりますが、パリに初めて行った時に、現地の人々の反応も思った以上にあり、読めない日本語であるにも関わらず、質問責めにあいました。異文化の芸術である書道が、海を渡り興味を持ってもらえるとは夢にも思いませんでした。

    けれども私が、西洋近代絵画の歴史に対してリスペクトをしているのは、紛れもない事実であり、こうしてオランダの方にお褒めの言葉をいただけるのは、そこにおいて感覚が触れ合ったのかも知れません。音叉という言葉は、言語の枠を超えた何かしらがそこにあるという解釈でよろしいでしょうか。大変有り難いことに思うと同時に、今後の海外進出に向けた制作の重要なヒントになりそうな気がしました。

    明日から人生48年目になりますが、ますますがんばっていきたいと思います。

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