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書道の本質はルーティンにある。

書道は約束事を書いて遺すことを目的として存在するもので、広義ではこの電子文字も書道である。

約束事とは、一文字の場合もあれば、二文字以上に及ぶこともある。いや、むしろそちらの方が一般的な言語行為と言えるだろう。

さて、ここからが本題なのだが、その言語行為も、仮に「一度しか使わない記号」を用いたものだとしたら?

つまり、その記号が誰かに対して初めて使われた時のことを考えて欲しいのだ。それは果たしてあり得ることなのか?

答えはイエスである。

記号は、それが暗に何かを意味するものとして存在するからだ。

例えば、私が新しく「flying saucer」というニュアンスの「字」を新しく作ったとしたなら?

さらに、「峠」という字があるが、正確にはこれは「漢字ではない」ということをご存知の方もおいでだろう。

この「峠」という文字は、「山」と「上」と「下」という漢字を組み合わせたもので、日本で発明された「国字」というものなのである。

お気づきだろうか?

私はきっと、文字を作っている。

例えば

「門構え」に「耳」で「聞」

ならば

「灰皿構え」に「はいざら」で「flying saucer」なのである。

そして、それを繰り返す。

なんのために?

それが、山本の作り出した記号として認識、認知させるためにである。

書道とは、どこまで行っても書道なのだ。

門構えに耳で聞という漢字を作った人間に想いを馳せながら、私は「flying saucer」を書いていたのだ。

そして今回、これが「ドア構え」に「ドア」と「光」と「音」で、

「ドアと光と音」なのである。(画像参照)

10/7より、名古屋「フィールアートゼロ」にて山本尚志個展「ドアと光と音とガラスと水」開催します。

※PC専用URL(Flashなので、スマートフォンからは見ることが出来ません。パソコンからご覧ください)

http://www.life-deco.net/

Published in Statements

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