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名古屋個展にて思う。

あれから色々考えてみた。今回の個展は、いったい何が良かったのか?

名古屋の人は、良し悪しをはっきりと言う。というか、目が肥えていた。つまり、芸術作品への判断基準がしっかりとしていた。

特に、現代アートにおいて最も大切な「新鮮さ」と「純粋性」について、敏感だったように思う。

彼らが持ち合わせているものは、感性という曖昧なものではない。美術への飽くなき欲求があるのである。

その目に見抜かれた気がした。

美術とは、目先の美しさに本質があるのではない。全ては隠されたところにある。それは、その人がどうやってここまでやってきたか?それが画面から感じられるかどうかなのだ。

それが、画面以外から感じられたり、画面がオーバーアクションしていても見苦しい。アートにおけるコンセプトとは、その両者の調和だ。つまり、そこに真実味があるのか、ないのか。

その人間の軌跡だけで構成された書道芸術で特に重要なのは、そこ。それしかない。

今回は、そうした部分を、他者の目を通じて感じた。

日頃、自身の作品を作っているアーティスト、それからそれらに取り囲まれている人、何かを突き詰めようとしている人、純粋に現代アート好きな人たち。

ギャラリストの正木なお氏を中心に、彼らが審判を厳しく下す姿を全て見たし、感じた。感想を一言でも聞きもらすまいと一瞬一瞬を勉強した。そんな3日間だったように思う。

結果を言えば、作品は3日間で12点売れた。これは、嬉しいを通り越して驚くばかりだ。

実は、僕の作品はマーケット的に言えば今はまだまだものすごく安い。だから、マザーギャラリーのユミコチバアソシエイツ、今回主催のギャラリーフィールアートゼロ、そして作家であるこの自分も、活動そのものが目的みたいなところがある。言ってしまえば、トントンにすることに必死なのだ。だから、買って下さった方には感謝しかない。売れないロックバンドがチケットを必死で売り歩いている姿と、それはダブる。日本の現代アートを取り巻く一つの真実がここにあるのだ。

しかし、そんなことはどうだっていいじゃないかとつくづく思う。

このまま時が過ぎて、僕がいなくなって、皆さんもいなくなって、作品だけが残る。

そうして、市井の人間関係が一切ない、全ての人が入れ替わっても、その作品が果たして輝いているのか?果たしてそう心から思えるものなのか?

それがアートにとってとても大事だし、アーティストの仕事の正体はズバリそこだと思っている。

僕はそれを知っている。本当の戦いとは、実にそこなのだ。現世利益などでは絶対にない。

何千、何万、いや何億の人たちがずーっと見ていても飽きない作品。

これはいったい何なのだ?と、悠久の時を経ても感じさせるサムシングが、そこにあるのか、ないのか。

それは、実は具体的なものだ。そして、それを掴み取ることが、アーティストには日々求められている。

そのために、見るのだし、聞くのだ。そうして、アーティストは、さらにアーティストに近づいていくのだと、僕は思う。

Published in Statements

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