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書の純粋性について

書には驚きと大胆さがないといけないと思ってます。

プリミティブで、シンプルで、チャーミングなもの。

例えば、誰かのメモや落書きが、異彩を放つようにね。

そうした、誰もが面白いと知ってるのに、見過ごされがちなものってあると思うんです。

日常の書って、そうでしょう?

ウチの母親のメモとか、傑作ばかりで。

「クーラーの電気を消してください」とか

「ウォシュレット電池交換毎年12月」とか

そうした他愛ないメモをね、人が痕跡として残すことの面白さや豊かさ、そこに書の根源的な面白さのヒントがあるはず。

それこそ、顔真卿の古典にも負けない、純粋性が隠されてる。

そんなね、大事なことを見過ごしてしまい、

やれ、技術だの、上手い下手だのと、勝手な価値をつけて賞をあげたりするのって、どうなのよ?と。

僕の中ではずっと疑問なんですよね。

僕なら、ウチの母親のメモに文部科学大臣賞をあげたいですよ。

ちなみに僕、その母親のメモを10年くらいかけて集めてたんですけどね、50枚くらい。

で、棚に置いてたら、

母親に全部捨てられてましたけどね笑笑

画像は顔真卿「祭姪稿」(左)と山本尚志による原寸臨書(右)

※画像は顔真卿「祭姪稿」(左)と山本尚志による原寸臨書(右)

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